- ギャー! 修行が始まる! 始まる!
- ランドセルに教科書を詰め込んで、ピッカピカの服を準備して、緊張で眠りにつくような気分 もう親に手を握ってもらって式典に入場したい
- 部屋干しアンチになりそう そのぐらい外干しに感動している
- コーネリアス、松本人志、宮藤官九郎が一本の軸で繋がっているというのはその時代を生きていないとなかなか到達できない感じがしていい気づきだった 90年代、ゼロ年代は遠くなりにけりということか 腐しがエンタメになっていた時代はもう終わりで、SNSで見られる冷笑は爆発的なバックラッシュであると
#不適切にもほどがある 観終わって、やっぱりサブカル、冷笑、イジりの時代は終わって、真面目、ケア、受容/変容とかがキーワードなんだなと思った。乱暴な私観だけど95年〜00年頃の「スクールカースト上位でない子」を救った文化系として渋谷系の音楽、冷笑の松本人志、サブカル/演劇のクドカンがいて
— 藤井セイラ (@cobta) 2024年3月30日- 冷笑する人間が行う相対化の暴力性は認識されるべきだと思う ただ、こういう「普遍的な価値観」が最近は根本からガチで破壊されているので、こういう価値観を武器に戦うほかない野党はどうしても弱くなるよな〜って飛躍して思うことも
わかります。某ドラマの話をされているのではないのかもしれませんが、わたしは相対化してはいけないタイプの「真面目さ」もあると思うんです。例えば「戦争反対」や「基本的人権」。1995年まではあったメディアの「脊髄反射的反戦」はもうない。「すべて相対化」は一見スマートで、暴力をはらみます。 https://t.co/QDFRSEC6TO
— 藤井セイラ (@cobta) 2024年3月31日 - クドカンも根っこの部分はとことん保守的よな〜って捉えられる表現は『俺の家の話』にもあって、注意して見ていると、作品全体を貫くのは冷酷にも家父長制の論理のみだったということがありありと浮かび上がってくる
- あと、家事育児に協力的な男性に対する印象を「ちょっとピンとこないよね〜」と女性に言わせてみる、みたいな描写もあって、これは過渡期の生々しさと取ることもできるし、(書き手が男性であるゆえに) マッチョイズムに縋りたい男性の欲望の表出と取ることもできて、どっちにしろ相当グロテスクな表現だなぁと思ったのを覚えている
- 冷笑する人間が行う相対化の暴力性は認識されるべきだと思う ただ、こういう「普遍的な価値観」が最近は根本からガチで破壊されているので、こういう価値観を武器に戦うほかない野党はどうしても弱くなるよな〜って飛躍して思うことも
- 旧交を温めるのは大切
- 激懐かし友人と通話するなど エピソードが強すぎてそういえば面白すぎるほどのアクティブ人間だったということを思い出して爆笑した 奇人やな〜ってなった ネジがいくらか飛んでいるからこそなのかも
今日見たもの
- 【東大理Ⅲ VS 一橋】学歴は必要か、不要か?【本気ディベート】 - YouTube / 【灘高卒 VS 灘高卒】一夜限りの関係、アリ?ナシ?【本気ディベート】 - YouTube
- ワンナイト問題、そういう考えの人もいるね〜というところに着地するしかないな
- #21 2024年3月5日の電電電話 - あのと粗品の電電電話 | Podcast on Spotify / #22 2024年3月12日の電電電話 - あのと粗品の電電電話 | Podcast on Spotify
- チョコプラ長田がそしあのの強火オタクであることが推しはかられる瞬間、たまらん
- 【歌ってみた】ハウトゥー世界征服 / 伊波ライ × 星導ショウ - YouTube
- 2人の声合いすぎ〜 映像もリスペクト感じられすぎ〜
- 真面目に音楽やってるバンドマンたちの嘆き SNSで注目されないと日の目をみない現実に「実力で勝負したいのに…」 | マネーポストWEB
- 匿名とはいえこういうインタビューに答えることも「プライベートの切り売り」そのものだよな、と考えるといろいろとモヤるものはあるよね